鳥類忌避香料の開発

奈良県北部に位置する奈良市、その西方の生駒山を望む丘陵地帯に、広大な敷地を擁する近畿大学農学部があります。東大阪の市街地に隣接する本学とは異なり、喧噪とは全く無縁の自然あふれる環境です。山々には様々な動植物が生息し、鳥たちも例外ではありません。ハトも多く生息し、以前は大学の校舎に大挙して飛来し、廊下に積もった糞に滑って転ぶ学生も現れるほどでした。

 現在(平成17年当時)はその場所に行ってみても、一羽のハトも見かけません。かつて糞まみれであった渡り廊下も清潔に保たれ、その痕跡すら見あたりません。ただ、何やら芳香剤のようなものがいくつか天井から吊り下げられています。柑橘にも似た香りのするこの物体が、同大学の協力のもと開発された人畜に安全なハト用忌避剤です。

 当時、近畿大学農学部農芸化学科(現・応用生命化学科)の駒井功一郎教授(現・名誉教授)は、国内はもとより海外でも著名な農薬の権威で、それゆえ農薬の環境に与える影響に危機感を感じておられる方々の一人でした。

 生物にはおのおの生存していく環境が必要で、人は人で生活していく手段が要ります。人類の歴史はまさに、古来より他の生き物との縄張り争いにおいて、その知恵を用いてことごとく勝利してきたものに他なりません。毒性のあるものを使って駆除する方法もその一つで、近年は化学という武器を手にしてからその威力は飛躍的に進歩しました。しかし、それは鋭い諸刃の剣で、私たちを取り巻く環境にも様々な影響が出ています。

 また、人間が不快と感じる生物も実は人間自身がその生存環境を広げている場合も多くあり(カラスやネズミ、ゴキブリ等)、人の身近において毒性のある物の使用には常に危険が伴います。人間が彼等にとって住みやすい環境を与えて繁殖を促しているのなら、逆に住みにくい環境を創造できないか?しかも安全性の高いもので・・・。駒井教授が着目されたのはニオイ、つまり忌避香料の開発でした。

 ニオイを使用した忌避については古来より様々な方法があり、取り立てて新しい考えではありません。しかしそれらの多くは科学的なうらづけに乏しく、学術的検証となると疑問を生じるものも多くありました。

 話をハトに戻します。ハトを忌避するため駒井教授が特に着目されたのが、柑橘系の香りです。柑橘系の香りにはリモネンという芳香成分が含まれており、とても良い香りがします。忌避香料はいくら安全性が高く、かつ効果があっても、人間が不快感を覚えるようでは使用は非現実的です。人が嫌がらない香りであることは、当然のように思いますが使用可能な成分が限定されるため、開発に際しては難関となります。

 教授はこの点に留意しつつ、様々なテストを行いながら各種忌避香料の研究を継続し、柑橘系の香りをベースとした香料が鳥類の忌避に有効である事を確認していきました。 しかし大きな壁が立ちはだかりました。それは学術的検証、とりわけ効果の数値化という問題でした。

 通常農薬等の研究では、対象の生死に関係してある程度明確に効果の判定が可能です。しかし相手の生死を伴わない忌避剤にとっては、効果判定の数値化はそう簡単なことではありません。まして比較的狭い空間で研究可能な昆虫類と異なり、大空を自由に飛び回る鳥たちが相手です。人が近づくだけで逃げていく鳥たちに対して、教授は試行錯誤の結果ある方法を思いつきました。

 それは、鳥たちの好む餌を用意し、忌避香料を微量付着させたものとそうでないものとの捕食から完食に要する時間を計測、比較するという方法でした。忌避香料の付着量が多いと最初から捕食しない為、ぎりぎり捕食してくれる量の特定から始まり、研究は餌を置くプレートの色の選定にまで及びました。プレートの色は赤を用いましたが、これは白色やキラキラ輝くものよりハトが警戒心を持ちにくいことが判ったからです。

 こうして10ヵ所以上の場所で、地道な実験が繰り返されることとなりました。各場所においては極力同じ条件を維持しつつ、内容成分を調整しながら捕食から完食までの所要時間を来る日も来る日も根気よく計測していった結果、忌避香料の有無・濃度・内容成分等様々な条件の違いにより、明確な時間差が生じることが判明したのです。

 数値化という難しい課題を時間に置き換えることで具現化し、忌避香料と鳥たちの反応の因果関係を証明したこの研究が、この忌避香料が特許を取得し製品化に向かう大きな足がかりとなったのです。

近畿大学農学部 駒井功一郎農学部長
平成17年10月21日談話より
京都リフレ新薬株式会社 代表取締役 森川友博
まとめ